(平成5年6月から河北アルファにて連載 全6回)
長いこと自分は健康だと信じていましたが、9年前にいつも元気だと思っていた母があっという間にがんで死んでしまった時から、私の中で何かが大きく崩れていきました。追い打ちをかけるように絵描きだった姉が脳出血で突然死んでしまい、私の「健康」は簡単にずたずたになってしまいました。とても恥ずかしいことですが、私はずうっと医者をしてきながら「健康」について考えたことがありませんでした。「病気」の勉強だけをしてきたのです。
WHOでは「健康とは、身体的にも精神的にも社会的にもうまくやっていける状態であって、単に病気や虚弱でないということではない」と定義しています。なるほど良く考えているなと感心させられます。健康は人間の生活・生き方すべてを包括するほどの大きな重いテーマということになるようです。
私は産婦人科という医療現場で、たくさんの女性と出会ってきました。女性は「病気」には強いが、どうも「健康」には弱いようです。
出血や手術の際の大出血はまさに壮絶ともいえるほどの場面ですが、こんなときに見せる女性の底力にはものすごいものがあります。女性の生命力の見事さにいつも感動を覚えます。なぜ女はこんなに強いのでしょう。自然界では子どもを産む性は強くつくられなければならないという鉄則があるのです。それは自然の知恵です。人の原型は女性であり、男型は女型を基本に作られるという、性の分化の過程はそのことをよく説明しています。
医者の一番苦手とする患者は、一見病人でない「更年期障害」などの患者です。そうした患者の多くは夫・子供・姑・・家族との葛藤を背景にしていることがあって、医者と患者のレベルはほとんど解決の見通しはつきません。毎回同じ話をして帰っていきます。共感しようと思っても、堂堂めぐりの話に腹立たしくなってしまいます。患者が立ち去ってほっとする間もなく、自分も友人に同じことをしてきた過去を思い出し、腹を立てた自分にがっくりしてしまいます。本当の医者になれなかった自分が情けなくなってしまいます。
総理府が去年11月に行った「男女平等に関する世論調査」では、家庭、職場など、すべての分野で「男社会」に対する女性の不満が強いという結果でした。このことは女性は日常のいろんな場面で葛藤することが多く、心の健康を見失いやすいということを示しています。